文字の「危険性」を東西の格言で考える!

どうも、ぺのっぺです。

(への)/

今まで、文字ブでは

文字の魅力をお伝えして来ました。

でも今日は趣向を変えて、

「文字の危険性」について

ひとつ考えてみたいと思います。

そのために、

東西の文字の格言を

紐解いて見て行くとしましょう。

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文字の格言東西

東は禅

まずは、東。

東洋思想の代表と言ったら

「禅」

ということで、

「禅語」からひとつ。

不立文字

(ふりゅうもんじ)

大事なことを

文字や言葉は伝えてくれない。

もともとは、仏教の教えの

伝授方法を指す言葉でした。

仏の教えは心から心へ伝えられた。

「以心伝心」された

ということに由来します。

やはり、言葉や文字では

伝え切れない心や、

表現し切れないもの

というのはありますからね。

どんなに美しい詩も、

魂を込めた書も、

どこか心それ自体とは異なる。

ちょうど、影みたいなものですね。

自作①美「字」麗句

美字麗句

美しいだけの文字

なんて言うと、

文字ブなのに何言って

と突っ込まれるかもしれませんが、

残念ながら、これは事実です。

なぜなら、

どんなに綺麗なカリグラフィーでも

「内容そのもの」は変えられないからです。

例)

ギャル文字の論文

草書体の炎上コメント

確かに、「印象」

変わるかもしれませんよ。

でも、「内容」はそのままです。

きれいに書いても

汚い言葉は汚いまま。

美辞麗句で飾っても

心はくすんだままです。

しかし、文字は

視覚媒体である都合上、

見た目の「印象」だけなら

取り繕うことが出来てしまう。

ある種の「印象操作」ですね。

だからこそ、書道は

その言葉に合った服を

着せなければならないわけです。

パッケージがきれいなだけの

商品なんてごめんですからね…。

西はローマ

次に西。

西洋の源流と言ったら

「古代ローマ」!

ということで、

ローマの「格言」からひとつ。

VERBA・VOLANT

SCRIPTA・MANET

ウェルバ・ウォラント

スクリプタ・マネント

言葉は飛び去ってしまい、

文字は残ってしまう。

文字は言葉と違って

残ってしまう。

記録の怖さを教える格言です。

でも、ただ単に

「口は災いの門だ!」

というだけではないんですよ。

他にも、残ることによる

「災い」はあります。

それが、

書き手と読み手との

距離の拡大です。

例えば、みなさんも

ウェブブラウジングをしていると、

古いページに出くわすことがあるかと思います。

十年以上も前のページです。

そうしたページを見ていると、

書き込まれている情報の古さに

戸惑うことがないでしょうか?

同じ言語で意味も取れるのに、

呼吸が合わない感じというか。

そう、ゴーストと話しているような

そんな違和感を覚えたことはないでしょうか?

もちろん、

古い情報なので、

感覚が合わないのは

当然といえば当然ですが、

でも、これは

文字が残ってしまうことによる

ある種の弊害でもあるんですよ。

対し、言葉はリアルタイムなので、

こうしたズレは起きません。

でも、文字の場合は

それが当たり前のように

起きてしまうわけです。

…といっても、

現在では録音や動画など、

残るものは文字だけではなくなりましたけどね…。

また、ウェブページなどは

文章が加筆修正されるため、

文字といっても、

どんどん飛び去って行きます。

このブログも例にもれず…(汗)

その証拠に、大学のレポートでは

参考にした日時まで入れないと行けません。

自作②メメント スクリプタ

MEMENTO・SCRIPTA

メメント・スクリプタ

文字を忘れないように

何かを書いたことを

忘れないように

何を書いたかを

忘れないように

何の文字なのか

忘れさせないように

記録を記憶しておきなさない

記憶なしに記録が

読まれることはないのだから

〜元ネタは

MEMENTO・MORI

メメント・モリ

死ぬことを忘れないように

かつて、古代ローマの金持ち達は

この言葉をあえて奴隷に囁かせたと言います。

古代ローマ流、

死後に快楽なし精神の現れですね。

でも、これを

MEMENTO・SCRIPTA

メメント スクリプタ

文字を忘れないように

とすると…、

書記の耳元で

何かが囁いている図になります。

それは一体何!?

まとめ

文字は残ってしまう。

でも、大事なことを

伝えてくれるわけじゃない。

時が経てば、記録といえど、

書き手と読み手との

距離の拡大は防げないし、

視覚媒体である文字は、

様々なカリグラフィーによって、

あらぬ印象操作まで加えてしまう。

というのも、文字は

書き手の心そのものを

記憶するものではないから。

しかし、だからといって、

文字にしなければ、

何も伝え残すことは出来ない。

だからこそ、せめて

記憶を記録し、

記録を記憶し続けなければ

ならないわけだ。

以上、「文字の危険性」についてでした。

m(_ _)m

文字は確かに、魅力的で面白く、

安価な嗜好品ではありますが、

こうした「危険性」も同時に

合せ持っているわけですね。

やはり、魅力に二面性は付き物!

「素晴らしい!!」

だけのものものなんて

この世にありません。

愛ですら憎しみを生むわけですからね(笑)

…というわけで、みなさんも、

くれぐれも文字に裏を書かれないよう、

気を付けて見て行って下さいね(笑)

それでは、また(への)/

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